雨に分け隔てられたその、

先にあるものは、未だ見れない夢。


何を抱えているのか。どこへ行くのか。

分かるはずもない。


いつか届くと願い続けることは、こんなにも苦しい。




:::::平行線





オーランドは背中に走った薄ら寒さで目を覚ました。
視界も思考も定まらないのか、胡乱な視線を暗い部屋にさまよわせた。外灯の明かりのみが入り込んでいるだけの部屋。
ようやく自分がリビングのソファの上でうたた寝をしたことに思い至ったのは、気だるさと関節の痛みで腕も上げられなかったからだ。
荷物も家具も少ない部屋の中、姿を主張する壁の時計に目をやれば、時刻は深夜の12時まで残すところ数分。
まったく中途半端な時間にうたた寝をしてしまった。それもこれも、珍しくヴィゴの方から「明日はせっかく休みだ。偶には静かに飲まないか」などと言ってきたからだった。ホビッツ連中の誘いも蹴ったというのにと、不満が溜まる。
「なんで言いだしっぺが来ないかな」
原因は分かりすぎるほど分かっている。もはや恒例の撮影延長だ。確かに撮影は押していて、そして自分がピンで撮影されるシーンは多くはなく、反対にヴィゴが一人切り取られて撮影することは少なくない。今までだって何度も時間通りに終わらずに、週末前の夜が流れる日があった。気にしていては気持ちが持たないことを早々に学んでいた。
体を起こすことすら億劫になったから、ごそりとソファの上で丸まる。寒さが消えない。
いつの間にか雨が降っていたらしい、この騒音に気が回らないことがまだ眠い証拠だった。


雨に気がつくと、独りで部屋にいることを強く知らされるようで胸苦しかった。
もう、今夜は来ないのだろうか。部屋に独りで残っている幼い子供に戻った気分だった。
どうにか助けて欲しい、構って欲しいのに、伝えるすべを持たない子供。揺り籠の中にいるようなものだ、と思う。
ダメだ、雨なんか降るから余計にナーバスになってる。その自覚はあるけれど、どうにかできるものでもない。
雨は止む気配がない。
どうにもならないのだったら、自分で助けの手を伸べるまで。
この短絡な思考が起き抜けなのだが、「構うことでもない」と若者らしく即決して、そっとオーランドは自身の腹部に手を這わせた。

この部屋は、今宵はどうせ独りきりの揺り籠だ。







オーランドは、ヴィゴの闇の中でもそれと分かる透明な灰青色の瞳を思い出す。
昼は思考を悟らせないそれは、夜は時に不躾なほどの灯りを湛える。
どういった力を持っているのか見当もつかないが、とにかくそれを見るとどうにも抵抗できなくなるのも事実だった。
なんの抵抗もないと思われたくないとオーランドは思う。
抱かれること、その気持ち悪いことは、やはり気持ち悪い。自分が今、こうやってヴィゴの手の動く先をなぞる行為をしていることも、気持ちが悪く違和感を覚えるくらいだ。
普段は意識しないようにしている。ぎりぎりの線で保っているのに、こうやって独り置かれたらどうすればいいのか。
ヴィゴの手を、声を思い出す合間にこんなことを考えたくはなかったけれど。

「ああもう、どうでもいいよ…今は、いないんだから」

捲りあがった腹をなぞる手を思い出す。大きくて、乾いていて、でも自分より小さいくらいの掌。オーランドよりも小さいんじゃないだろうか、案外と花車だなと思ってることを、ヴィゴはきっと知らないだろうと思う。
オーランドの腹筋を掠めては「オーランド。お前、もっと肉をつけろ」などと言う、その唇は乾燥して荒れている。
鎖骨の窪みに口付けられるたびに、僅かにめくれた皮が引っかかって背中が粟立つ。
いちいち思い出せることが、こんな時は癪に障った。
剥き出した肌に触れる掌は、炙られているように熱い。そう、ヴィゴの掌もこんな感じだ。
自分の手ではないようだった。
「うぁ……」
今、自分に触れているのは彼の手。そう思った瞬間に下肢に痺れがじんわり溜まりだした。
辿った胸の中心が、痛いほど立ち上がっている。どうにもならない羞恥心を覚え、背を丸めて息を詰めた。
大抵こうなると、ヴィゴは手を止めて囁くように言う。
「オーランド。それじゃあ、見えない。」
思い出せば、それだけで夜の空気に肢体を晒せるのだから大したものだと思った。
奔放に動き回る手とは対照的に、夜そのもののように静かに、しかし反抗を許さないようなヴィゴのテノールがオーランドは好きだった。
掠める手からは与えられない、絹で壊れ物を包み込むような感触を与えてくる。
声は空気になって、オーランドを撫でようとする。今は、感じられないけれど。

「いやだ、そんなもの」
そう言っても、完全にヴィゴの銀にひらめく光彩や、熱い吐息や、肩にかかる筋肉の重さを思い出してしまっては手を止めることも出来ない。
着たままの服が動くたびに擦れ、新たな刺激となってオーランドの波を高める。
片手は絶え間なく胸をいじり、片手は静かに下へ向かった。
もうそれは形を成していて、性急な自分へ嫌悪感を覚える。
こんな時に我に返ってしまう自分が恨めしかった。



身体の奥に、どろどろしたモノが凝っている。これを吐き出させることが出来ない。
出せないのは気持ちが大半だと思った。どうにもできない現状の蟠りが凝っているように感じた。
もう、今動いている手は彼の手ではなくなってしまった。熱い息をもてあましながら足を伸ばす。
バカみたいだ。こうまでしてヴィゴを求めてしまう自分がと、薄く嘲う。頬があつい雫で濡れた。
「あっつ……い」
衣擦れの音が止んだら、雨音が聞こえてきた。まだ止まないらしい。
いい加減撮影も終わっただろうから、ヴィゴは今ごろ家へ着いて、風呂にでも入っているのだろうと考える。
「…ちっ、くしょう」
なんだって自分はこんな思いをしているのに、ヴィゴは仕事終わりで疲労感も感じながらでも気分よく湯を浴びてるんだ?
まったく創造の範囲でしかないのに、段々と八つ当たりのように考えるようになった。
そう思考が周り冴えだした時、不意に扉が開いた。雨の音がとりわけ大きくなったから、容易にそう分かる。そして聞きなれたくぐもった声。
「オーランド、いるのか?」







まさか、来るなんて思ってもみなかった。つばを飲み込む。
乾いていた掌がたちどころにしっとりと湿りだす。
吹き込んできた風がからみつく。なによりも、様子を窺うヴィゴの気配が雨の湿り気に溶け込んで、一気にオーランドへと流れてきたように感じた。
心臓の音がうるさいくらい聞こえる。冷えた風に刺されるようだった。
「オーランド?」
ああ、この声を聞きたかったんだとオーランドは思った。名前を略称で呼ぼうとしない。大切に扱われてるとそんな所でも感じていて、喉の奥で笑う。
ソファに横たわっているから、扉からは死角になる。オーランドの方は、足音が聞こえるから近づいてきていることが分かるけれども。
靴音が濡れている。雨に打たれたまま急いできたのか、惰性で来たのかは分からないが、急いで来てくれたのだと思いたかった。
でも急いで来たのだとしても、この溜まった気持ちが晴れることはない。ならばいっそ見せてやれ、とオーランドの頭のどこかで囁いた。
散々言ってきた、わがままの最たるものだと分かるけれど、どれだけ待っていたのか思い知ればいいと。

時間をかけて焦らしていた身体にもう一度目覚めさせるのはいとも簡単な作業だった。
ここは自分の揺り籠なのだから、奔放に、思う様振舞えばいい。どれだけ、苦しく焦がれていたかを自分でも思い知りながら、抑えていた声と動きを放ち始める。
壁一枚向こう側に、自分を翻弄する人物がいる中で、その動きを真似て見せる。なんとも言いがたい痛みに似た感覚が目の奥で瞬く。
「は…ぁ、…く、ん」
自身に手を添えて裏からなぞり上げるように、少し乱暴に動かす。わざと聞こえるような声量で喘いでやる。
廊下の足音が一瞬止んで立ちすくむ気配。「は…珍、しく慎重じゃん…か。――っつ」
そう、もっと自分のことだけ考えて欲しいと思いながら、もう片方の手は胸へ滑らせる。小さく立ち上がった胸の中央へ軽く歯を立てるのがヴィゴの癖だったが、さすがに自分では出来ないので爪を立ててみる。
電気が走るような刺激で腹筋が僅かに痙攣するのにあわせて、下肢の重みが増す。
息を荒げて、涙をぬぐうなんて余裕はない。扉が開いて、ヴィゴが入ってくる気配が感じられる。聡い彼のこと、なにが起こっているのか直ぐに察するだろう。
さあ、どうでる?何を言ってくる?いつも行為をしている時みたいに、あの目で見てくれている?それくらいしか間際が近いオーランドには考えられなかった。
もう高みが見えるというギリギリの瞬間に、口に乗せなかった名前を口にする。ヴィゴがそこに居ることをオーランド自身が知っていると教えるために。
最高に、オーランド自身は嫌悪する鼻にかかった甘い掠れた声で呼んだ。



「ヴィゴぉ……!っく…ぅ」



ソファの真後ろでヴィゴが息を飲む気配がする。さすがに、これで何の反応も返ってこなかったらどうしてやろうかとオーランドは思っていたから、これはこれで満足だった。
全身の緊張が弛緩して、甘ったるい感触が背筋を走る。痺れの余韻に浸りながら、ヴィゴの反応を窺う。オーランドが「ヴィゴの気配を探っている」気配にヴィゴは気がついているだろう。
神経が細かいと、こういう時に困るよね。知らない振りして声をかけて、抱きすくめればいいのに、とオーランドは思う。
しかし実際のところ、ヴィゴが来る可能性があるのにオーランドが行為をすることは絶対ありえないことだった。オーランドの中には確固たる男性としての境界線があって、それをいたずらに越えることをオーランドは許さない。それをあえて見られても構わないという様に行うことは、何らかの主張であるとしかヴィゴには考えられなかった。だから、不用意にヴィゴは近づけないし声もかけなかった。
オーランドからしてみれば、言い表したいのは簡単なことだ。ヴィゴとの関係において派生する時間的拘束から来るすれ違い。煩わしいとはまったく思わないけれど、だからといって、いつもいつも納得して黙って待っていることの、そのつらさを。
自分がどれだけ待っていたかについて、洒落た皮肉を飛ばしてやろうか、起き上がって文句を言ってやろうかを微動だにせず考えた末、オーランドは単純に不満をぶつけても良いんじゃないかという気になった。
言葉をあげることはしない、行動で。

隅に丸まった上着の中に顔をうずめて、あげてなんかやらない。
途方にくれればいいよ、偶には。
こんな風にあからさまに見せてやることは、


「…二度目はないよ」


「わかってる」


こんな痴態を見られたなら普段のオーランドなら恥ずかしさのあまりに叫びだすか、手当たり次第に物を投げてくるかしただろうが。
ごく短いヴィゴの返事の何に満足したのか、オーランドは暗闇に溶け込むように、今日限りの揺り籠の中で眠りに落ちていった。







完全に目が闇に馴染んだ頃合いに、ヴィゴは深く溜息を一つついた。

「…生殺しだな」

なんて幼稚で、しかし効果的な挑発か。
手を出させないという牽制をたった一言、しかしこうもしっかり引かれてはどうにもならない。
互いに時間の融通が利かないことは分かっている。分かっていて、それでもどうにもならない気持ちを出したのだろうとヴィゴは思った。こういうところしか汲んでやれないところが、また辛い。
今夜は保護者に徹するしかないらしいと見切りをつけると、オーランドが冷えないよう寝室へと運ぶためにそっと、オーランドの丸まったしなやかな背に手を差し入れた。
寝室までたどり着いてそっとベッドにオーランドの身体を横たえる。部屋を出て行こうとすると、眠ったものと思っていたオーランドがうっすら目を開いてポツリと言った。


「女々しいね」
「俺が?」
「ううん。僕、が。……あのさ、ヴィゴ。さっきは」
「…もう黙れ。明日はゆっくりしような」
「うん。」
「おやすみ、いい夢を」
「うん、ありがと…」


そう言ってしばらくすると、か細い寝息が聞こえてきた。寝入ったことを確認すると、今度こそ部屋を出るためにそっとヴィゴは立ち上がった。
扉を開けてリビングに向かう。雨の音が大きくて、あまりに独りを感じることに眉をひそめた。どうしようもない拘束のある関係だからこそ、辛い。分かっていながら解決する術を持たない自分の、無力さにあきれてしまう。








「あぁ……………ごめんな」








雨はまだ止みそうにない。

日高七重嬢の誕生日祝いに献上すべく。 あの…初エロなんですが。これをエロと呼ぶのかは甚だ疑問。
ダメなりに頑張ったつもりだが、「つもり」で終わっている確率の高さに眩暈がする。
てか、誕生日にエロってどうなんでしょうね。ほんと。
えらく遅くなりましたが、おめでとうございますだ!!<サム?

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