最後まで、言えなかった言葉がある。



::::: distant echo



たった一人、レゴラスは裂け谷を歩いていた。
谷のエルフは既に誰一人として残っておらず、文字通り一人きりで歩いていた。

灰色港へ向かう途中、谷に寄ったことは、彼の愛するドワーフへの最後のわがままだった。

レゴラスはただ一つの場所を目指していた。
そこへ向かう途中に様々な絵画や彫像を見たが、主無きこの場所に残されたそれらを見ると、自身を含め『エルフ』という種族が去っていくのだという寂寥感のようなものが宿るようだった。



ひたりと廊下を抜けた先に、小さな広場がある。
訪れる者ももはやないけれど、レゴラスはこの場所をよく覚えている。
二人を、よく覚えている。

黄金の葉を映し込んでなお深い常磐緑の瞳には、子供が描かれていた。
彼を初めて見たのが、この広場だった。
森に半ば埋もれるようにした作りの水場の淵に座っていた。風が小さく動くたびに、その漆黒の髪はふわりと跳ねた。
子供は何をするでもなく、ぽつんと座っていた。ただ静かに一人でいる様が、何故かレゴラスはひどく気になった。
音も立てずに横へ行き、風にかき消されるような小さな声で「こんにちわ」と声をかけると、子供はひどく驚いた目をした。
それから一度か二度まばたきをした後、「あなたは、誰?」と言ってきた。

エルフの谷に守られながら、しかし彼は人間ゆえに彼の友を得ることも出来ず、幼い時を一人で過ごしたようだった。
だから、谷の者ではないレゴラスが話しかけてきたことが、嬉しかったのだろう。
僅かに会話をしただけで、彼は日が零れるように軽やかに笑った。
レゴラスにしても、子供と話すのは初めてだったから、ただ愛しいと感じた。





以来、谷を訪ねた折に彼と会うときは、約束をしたわけでもなかったがこの広場で逢っていた。
九人の仲間と共に旅にでる前の話だった。

あまり多く言葉を交わした記憶はない。
特に、彼が成人してからは初めてあった時のように溢れるように笑うことがなくなった。
それでも、彼はレゴラスと逢う時は喜んでくれるようで、ぽつりと落とすように笑った。

とても儚い思い出だった。
レゴラスが遠くを見る目をすると、光景は見る間に引いて、静かに消えた。



いつかの様に水場の縁に手をかけて、彼がいたであろう軌跡を辿る仕草をする。
この谷に彼がいた時間は長くはない。それでも、何かが残っていそうな気がした。

いつからか、彼自身を守りたいと思ったこと。
なぜかは分からないけれど、それはとても愛しく、そして哀しい感情。
そばに彼の気配があると、レゴラスはいつも優しく微笑んでいた。
それだけで十分だったし、それ以外に出来ることはなかった。
レゴラスは最後まで彼の全てを肯定して、受け入れた。


あの幼かった子供はいなくなってしまった。
初めて逢った時の温かさは、今はまだ鮮やかによみがえる。
それは大きな幸福感をレゴラスに与えたが、それがいずれ夢や幻のように、儚い記憶になっていくことを知っていたから、幸福感と共に足許が掬われるような感覚も同時に感受しなければならなかった。
それでも彼に会えたという喜びが勝っていた。


おそらく、彼は知っていた。レゴラスと互いに惹かれていたことを。
表立った繋がりはない。ただ、いなくてはいけない者同士だったのだ。
だから一度も、それについて言葉を交わしたことはなかった。
交わしては、いけなかったからだった。


二人が最後まで口に出来なかった言葉を、ようやく言えるときが来た気がした。
もう聞き届ける人が居ないから、言うことが許される気が。
水盤に思い出を観ようとしても、映るのは自分の常緑ばかりだったから。



あなたに、言えなかった言葉がある。










アラゴルン。

あなたが、好き。








水面に、常緑緑から望みの雫がひとつ、こぼれ落ちた。






エレスサールが崩御するまで、これっぽっちも大人な関係がなかったと、
けっこう根深く信じているワタクシ。
ネタインスピレーションは某歌詞。タイトルは『freesia』。<てか、まんまだ!!

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